大阪地方裁判所 昭和42年(ヨ)1865号 判決 1969年12月11日
申請人
玉尾一雄
同
武田清
代理人
小林保夫
外二名
被申請人
光洋精工株式会社
代理人
東野村弥助
外七名
主文
被申請人は、申請人玉尾一雄を被申請人本社業務本部業務部業務管理課所属の従業員として、同武田清を同部輸出第二課所属の従業員として、それぞれ仮りに取扱え。
訴訟費用は被申請人の負担とする。
事実
第一、当事者の求める判決
一、申請人
被申請人は、申請人玉尾一雄を大阪市南区鰻谷西之町二番地所在被申請人本社業務部業務管理課所属の従業員として、同武田清を同部輸出第二課所属の従業員として、各取扱え。
二、被申請人
本件申請を却下する。
申請費用は申請人の負担とする。
第二、申請の理由
一、当事者および本件転勤命令
被申請人(以下会社という)は各種ベアリングの製造業を営むものであつて、事業所として本社(肩書地)および東部(東京)、中部(名古屋)、西部(大阪)、中国(広島)、九州(小倉)の各支社ならびに国分(大阪府)、高松、徳島、三鷹(東京都)に各工場をおき、従業員約四、〇〇〇名を使用している。
申請人玉尾は昭和三四年三月大阪府立今宮工業高等学校機械科を卒業して同年四月会社に雇傭され、昭和四二年二月一四日当時には本社業務部業務管理課に所属して、国分工場第二生産部で生産される玉軸受、水ポンプ軸受、スラスト軸受につき製造指令や納期管理等の業務に従事し、基準賃金として月額二九、五〇〇円の支給を受けていた。
申請人武田は、昭和三九年三月東京外国語大学仏語科を卒業して同年四月会社に雇傭され、昭和四二年二月一四日当時には本社業務部輸出第二課に所属して、外国諸地域からの注文に対する見積りや納期管理等外国取引に関する業務に従事し、基準賃金として月額二九、〇〇〇円の支給を受けていた。
しかるところ、会社は昭和四二年二月一六日申請人両名に対して、同月一四日付で左記のように転勤を命じた。(以下本件転勤命令という)
玉尾 西部支社神戸営業所(神戸市葺合区小野柄通り六丁目四の一所在)に勤務して、神戸姫路間で会社製品の受注、納品等の販売業務(所謂セールスマン業務)に従事する。
武田 東部支社営業第一部北関東営業所(宇都宮市宿響町一〇五所在)に勤務して、宇都宮市付近で会社製品の受注、納品等の販売業務に従事する。
しかしながら、本件転勤命令は、会社が不当労働行為として行つたものであり、さらにまた会社の就業規則に違反しないしは人事権濫用にあたるので、無効というべきである。<以下略>
理由
一、会社が各種ベアリングの製造業を営むものであつて、事業所として本社(肩書地)および東部(東京)、中部(名古屋)、西部(大阪)、中国(広島)、九州(小倉)の各支社ならびに国分(大阪府)、高松、徳島、三鷹(東京)に各工場をおき従業員約四、〇〇〇名を使用していること、申請人らがその従業員であり、申請人玉尾が本社業務部業務管理課に所属していたところ、昭和四二年二月一四日付で西部支社神戸営業所勤務を命ぜられ、申請人武田が本社業務部輸出第二課に所属していたところ、同日付で東部支社営業第一部北関東営業所勤務を命ぜられたことは、いずれも当事者間に争いがない。
二、ところで、申請人らは右転勤命令はいずれも不当労働行為に該当する旨主張するので、以下この点について判断する。
(一) 本件転勤命令の経緯
(就業規則の定めについては、被申請人において明らかに争わないのでこれを自白したものと看做す。その余は<疎明方法>により疎明される)。(但し、認定に反する部分は措信せず、これを除く―以下同様)
(1)、人事異動関係の社内規範としては、就業規則三―三―二に「業務の都合により転勤、出向、社外勤務または職場の変更を命ずることがある。前項の場合、本人の希望、技能、健康、勤務状態を公正に考慮して決定する。正当な理由がないときは、従業員はこれを拒むことができない。」旨規定され、労働協約第二六条に「会社は業務の都合により組合員に工場事業所間の派遣転勤、工場事業内の転籍又は社外勤務者については本人の意志、生活条件等を公平に考慮して行う。」旨規定されており、これらによつて、会社は人事異動権を保有していること、およびその行使にあたつてはこれら条項所定の各項目を公正に考慮すべき義務あることが明かにされている。
(2)、会社では十数年来人事異動の根幹を毎年々頭に職制変更をも含めて行われる総合計画的な一斉人事異動において来た。そして、その異動人員規模は昭和四一年から同四三年頃当時で毎年三〇〇人前後にのぼり、そのうち事業所変更を伴うのが五〇人前後あつた。そしてこの年頭人事異動の作業手順は、前年の一一月頃から、企画部において職制原案を作成し、またこれと併行して人事部において右職制を充当すべき人事配置粗案を作成し、これを一二月下旬の役員会で審議決定して、当年度一月上旬の年頭会議に発表している。そしてその過程で、前年の一〇月頃には全従業員から自己申告書を提出させてその希望や生活事情を表明させ、また前年の一二月中旬までに各職制の部局長から意見が具申されるのであるが、異動該当者に対して発令前に内示したり意見を聴取することは一般的には行われていない。
(3)、昭和四二年度年頭異動では編成の基本方針を「職制簡素化、間接部門の縮少、営業部門の強化」を図ることにおきそのための施策(同年二月一日頃に計画は確定した。)として本社(但し、技術部門を除く間接部門)においては、昭和四一年一二月二一日現在の定員について一般従業員二一三名より三〇名を、会社利益代表者六一名より一名をそれぞれ減員し、生産部と業務部を統合して業務本部業務部を設置し、定員も旧両部より九名減員し、これらの減員された者のうち約半数を営業部門に転出させ、またあと半数分の減員は女子社員の昭和四一年度退職をもつて実現することにした。かくして年頭異動の実施は、同年一月九日に役員関係から課長代理までにつき、二月一日に係長につき、同月一四日と一六日に係員につき、それぞれ発令された。そして、新らたに販売員として一五名(本社関係では、業務本部業務部より四名、人事部より一名)が発令され、また本社業務部では係員につき転出九名、転入四名の異動があつた。そして本件転勤もこの年頭異動の一環として行われたものである。
(4)(イ) 神戸営業所においては、売上高が五八期(昭和四一年四月から九月まで)九、四八九万九、〇〇〇円(販売員一人平均一、八九七万九、〇〇〇円)、五九期(昭和四一年一〇月から昭和四二年三月まで)一億三、五四三万二、〇〇〇円であつて、販売員一人平均の売上高や右両期の販売高の伸長が他営業所に比較しても高く、会社の営業部門強化政策と岡本所長の積極的販売策等ともあわせて、販売員一名の増員を必要とする事情があつた。さらにまた昭和四一年末には女子係員の仲が退職を申し出ていたので早急にその後任者の補充を必要とする事情もあつた。そして、同年一二月岡本所長は、本社人事部に対して男女各一名宛の係員の配属を要求し、この男子係員にはセールスを担当させる予定であつた。
(ロ) 申請人玉尾は工業高校機械科業卒後、昭和三四年四月一日会社に入社して翌年会社国分工場生産課技術係となり、その後本社業務部の職制変更による強化充実に伴い昭和三八年六月二五日付で本社業務部業務課に移つたものであるが、会社においては同人にはセールスの適性もあり、八尾市に住み通勤も可能なものと判断し、同人を神戸営業に転勤せしめるべく、本件転勤命令を発した。
(ハ) 会社では従来工業高等学校出身の者に対して、生産関係の業務だけでなく、事務系やセールスを担当させる例も少くなかつた。そして、会社の販売商品が精密機械にも使用される機械部品であることよりして、その販売先や販売品目によつてはむしろ技術系の者にセールスを担当させた方が好都合な面があり、現に昭和四二年度新任販売員一五名のうち五名は技術系の者が任命されている。そうすると、同申請人にとつては、販売員に任命されたことから直ちに同人の技術知識と業務経歴を活用できなくなつたものとは云えないし、また同申請人にはセールス適性もある。
(ニ) しかしながら、同申請人はこれまでの学業と業務経験から得た技術知識を生かして、将来は生産関係の業務に従事することを希望しており、セールスについては、これに従事することを希望していなかつたどころか、昭和四一年八月に石田常務取締役から販売員にならないかと打診された際にはそれを明確に拒絶したことさえもあつた。また、本件転勤命令当時同申請人は独身であつて八尾市山本所在の両親宅に居住しており、同所から神戸営業所へ通勤するには片道一時間五〇分程も要するため、同営業所へ転勤するについては転居するのを相当とする情況にあつた。そして、右転勤にともなつて同申請人は西宮市内に権利金一五万円家賃月額六、八〇〇円を出捐してアパートを賃借し、その補助として会社から月額三、〇〇〇円の支給を受けてはいるが、販売員にはセールスマン手当が支給されるかわり、残業手当が支給されないので収入も、二、〇〇〇円近く減少した。
(ホ) ところで昭和四二年度年頭異動で新任販売員に任命された者については、例年とは異つた処置が行われていた。すなわち、人事課で選定された販売員候補者について宇野、石田常務取締役がそれぞれ個別に面接し、そこで適性ありと判断された者が販売員に任命されており、しかも本社業務本部業務部から減員にともなつて転出を予定された者については全員が販売員候補者とされて面接を受けている。しかるに申請人両名についてだけは、かかる面接も為されないまま営業所勤務の販売員に任命されている。
さらにまた昭和四一年八月頃のことであるが、会社役員が北海道地区を視察した際札幌営業所長より同営業所のみでは広汎な道内における販売に対処し難いとの上申を受けて、釧路駐在技術サーヴイス員を設置することが企画されるや(採算の見通しが立たず中坐した)さつそく申請人玉尾をその候補者に選定して本人に対して販売員になるつもりはないか打診し、また同年一二月に村上生産部長が人事部長に対し年頭異動のために意見を具申した際にも四名の昇進推せんのほかに、「玉尾君の移動に関しては」として同申請人の西部支社への転出が摘示されている。
(5)(イ) 北関東営業所においては、昭和四二年一二月に所長の保仙裕博が退職願を出した同職は係長級に格付けされるものであるが、保仙は天理外国語大学を卒業して昭和三二年八月一五日入社し、東部支社営業第三課第一営業係長、同支社営業第二部営業第四課日立出張所長等を歴任していた。そして、同営業所に勤務するあと二名の販売員のうち、瀬田は中学校卒業後会社付属の技術養成所(三年課程)で履修した技術者であり、また三橋は夜間高校卒で工員から雇員に登用された者であるところ、同営業所では販売体制が固定しない顧客に対する小口販売を主力としているため、右保仙の後任として同営業所の営業活動を全般的に管理する能力のある大学卒の事務系販売員の配置を必要としていた。そこで東部支社ではこの考えにもとづき後任所長の補充を本社に要請したのであるがあいにく係長級を配置するめどが立たなかつたため、やむを得ず次善の策として当面は瀬田に所長業務を代行させて、将来は所長に登用する含みをもつた係長級大学卒販売員を配置することにし、同申請人が東部支社を希望していたこともあつて同人をこれにあてた。
(ロ) 会社においては昭和三八年以来毎年外国語大学卒業者を三、四名宛採用しているところ、これらの者は業務関係や工場関係で若干期間勤務したあと会社や関連会社における輸出業務や海外駐在業務に従事するのがほとんどであつた。もつとも、外国語大学出身であつて輸出関係以外の業務に従事している者の例もないではないが、それは前述の保仙、岡本(大阪外国語大学卒、昭和三二年入社以来ほぼ一貫してセールスに従事)や社長室長の庫本昌史(大阪外国語大学卒、昭和二一年八月に入社以来ほぼ一貫して企画、調査に従事)などのように、その業務適性が輸出関係よりもそれ以外の分野にあるため、当初から輸出部門には関与しなかつたり、あるいは他の業務部門で重要な職務を遂行して来たなどの場合に限られており、通常の場合は外国語大学を卒業して輸出業務に従事し、また将来もその方面に進むと予定されているようにみられる者が国内セールス勤務を命ぜられた事例はほとんどなかつた、さらに従前北関東営業所長から東部支社の輸出業務担当に異動した例もなかつた。そして昭和四二年度に新たに販売員を担当させられた者のうち外国語大学出身者は同申請人一人だけであつた。
また、会社業務部輸出第一・第二課には本件転勤命令当時約一〇名の男子職員が勤務していたが、そのうちで外国語大学出身者は三名であり、しかも仏語修得者となると本社を通じて同申請人一人だけになるのであつて、同人の外国語歴は決して軽視できるものではなかつた。
(ハ) 同申請人は外国語大学を卒業しており、輸出関係の業務に従事することを希望していた。また、同人は実家が千葉県松戸市にあるところから、勤務場所には本社のほかに東部支社をも希望していた。そして会社においても、昭和四一年一一月八日までは同申請人に対して、輸出関係の業務に従事させ、また将来もその方面に従事させるべく取扱つていた。
しかるに会社がこのたび同申請人を北関東営業所勤務の販売員に任命するにつき、同申請人は前記のとおり申請人玉尾とともに石田常務から面接を受けていないなど他の新任販売員とは異つた取扱いを受けている。
(ニ) そこで、以上認定した事実にもとづいて本件転勤命令の当否を考察する。
(1) まず、申請人玉尾について述べれば会社が神戸営業所における販売活動をさらに拡大せしめるべく販売員の配置を一名増員したことおよび同申請人の技術知識や業務経歴をセールスに活用したことには、業務上の合理性が一応認められるのであるから、転勤が同申請人の希望に反しまた経済上や生活環境上に前述した如き不利益な結果をもたらすものであつてもそれをもつて直ちに就業規則や労働協約により従業員に対して保証されている地位を侵して同申請人を不当に不利益に処遇したとは言えない。
しかしながら、同申請人については、昭和四一年八月当時に釧路駐在技術サービス員の設置が企画されるやただちにその要員に選定されたり、また同年一二月には村上生産部長が部下の異動について具申した際にも、四名の昇進に加えて特に同申請人の転出が指摘されていたり、さらに昭和四二年度年頭異動で新任販売員に選任されるにあたつても、申請人両名だけが石田常務らによる面接から除外され、しかも営業所勤務者にまで選任されていることを考えるならば、申請人玉尾の転勤には他の従業員に対するとは異つた取扱いが為されており、単に、昭和四二年度年頭異動方針に則つて為されたと解するには割り切れないものがあり、遅くとも、昭和四一年八月以降他の動機に基いて一貫して業務部からの転出が予定されていたのではないか、また申請人武田の転勤とも共通する問題があるのではないかと考える余地がある。
(2) つぎに申請人武田について述べれば、北関東営業所において配置を必要としていた者は同営業所の営業活動を全般に管理すべき所長(係長)級ないしこれに準ずる販売員であること、会社は同申請人に対して同営業所で当面の係員業務のみならず将来の所長業務まで遂行させようというかなり恒常的な勤務を予定していること、会社においては輸出業務要員を得る目的から外国語大学卒業者を雇傭し、これらの者については、輸出業務に適性がないとか、むしろ別の分野に乗務適性があるという事情のない限りは、会社や関連会社の輸出業務に従事させており、ある程度に特殊技能者扱いをしていること、したがつて外国語大学を卒業し、これまでは修得した語学を生かす機会をも与えられつつ輸出業務に従事しており、また将来もこれを志す者にとつては本件転勤は異例な勤務を命ずるものであること、地方所在の小営業所における小口販売を主とするセールスに従事することが、会社の輸出業務体制のもとで如何なる程度に輸出業務のための修練になるのか疑問があること、そしてこの時期にかゝるセールスに数年間も従事すれば、かえつて輸出業務を修得する機会を失い、また将来輸出業務に従事すべき順路からはずされるという不利益さえも予想されること、これまで会社から輸出業務要員として取扱われ、現に本社輸出関係の主要部署にある者が希望に反して宇都宮所在の小営業所勤務の販売員を命ぜられることは、それだけでも精神的苦痛を強いられるものであり、その主観的不利益は無視できないこと、等の事情が存在するから、本件転勤は異例であつてしかも同申請人に対しては相当に業務上主観的に不利益を課する人事異動であると解されるのであるが、他方これを受忍せしめるだけの業務の必要性も充分に認められず、またかかる重大な処置が為されるのであるにも拘らず、他の販売員候補者に対して行われている石田常務取締役らによる面接さえも、申請人玉尾とともにその対象から除かれている。したがつて申請人武田に関しては、本件転勤命令は不利益処遇にあたり、またその発令手続も公正を欠くと言うべきである。
(3) 以上の如く本件転勤命令にはいずれも何等か割り切れないものの内蔵することを否定しえない。
(三) よつて、申請人らの組合活動の状況ならびにこれらに対する会社の態度について考察しよう。
<証拠>ならびに弁論の全趣旨により疎明される。)
(1)(イ) 会社従業員は約四、〇〇〇名をもつて総評全国金属労働組合光洋精工支部(組合)を結成している。そして、その機構は国分工場内に中央執行委員会をおき、さらにつぎのようにほぼ事業所単位に支部を設置している。
(支部名) (所属組合員数)
国分工場 二、五〇〇名
高松工場 五〇〇名
徳島工場 四〇〇名
東京工場 三〇〇名
本社 二三〇名
東部支社 七〇名
中部支社 二〇名
九州支社 一五名
(ロ) 申請人玉尾は、昭和三四年一〇月組合国分工場支部に加入し、昭和三七年七月頃から「うたごえ」活動に参加して次第に組合活動に関心をいだくようになり、昭和三八年の前半には青婦部活動に積極的に参加していた。すなわち、三月には春闘にあたり青婦部うたごえ行動隊に参加して転子工場で労働歌の歌唱指導とシユプレヒコールの唱導を行い、四月にはメーデを目指して約一週間にわたり毎日昼休み時に第三工場で一〇名ないし二〇名の組合員に対して労働歌を歌唱指導し、また、二月二一日と六月三日には学習会に参加している。そして同年五月には事務所選出支部執行委員の補欠選挙において、同申請人がこれに選出された。
(ハ) 昭和三八年六月申請人玉尾は転勤にともなつて本社支部に所属した。
(ニ) 本社支部は本社勤務の組合員のほか西部、中国両支社勤務の組合員により構成されており、その機関としては委員長(一名)、副委員長(昭和三九年一〇月より昭和四一年一二月まで二名、その他の期間は一名)書記長(一名)の三役と執行委員(一〇数名)からなる執行委員会と支部大会がおかれ、その役員選任の方法としては三役については前期の執行部から推せんされた候補者を支部大会で信任投票に対して決定しまた執行委員については職場に則してブロックを区割し、そこで選任された者を支部大会で承認して決定していた。そして、その組合活動は本社勤務の組合員が本社建物内で行う諸活動を中核としているところ、本社は、会社の中央管理機構がおかれているところであつて、そこに勤務する従業員についてもその構成上会社利益代表者の占める割合が極めて高く(昭和四一年一二月二一日現在で一般従業員二七〇名に対して会社利益代表者七一名)また職制の数も多いであろうこと、その組合員もほとんどが職員(工員、雇員から区別されている)であつて管理事務的色彩の濃い業務に従事していること、組合活動についても、職場活動や青婦部活動には見るべきものはなく、支部が独自に行うものとしては、執行部が労使協議会で会社と協議することぐらいに限られ、また執行部においても職制、労務担当者ないしそれに準ずる者が中枢を占めており、概して労使協調的であること、等の特徴があつた。そして、他支部に比べて活動は低調であつた。
(ホ) 昭和三八年一〇月申請人玉尾は本社支部執行委員に本社業務部職場から選任された(任期は翌年九月まで)。
(ヘ) 昭和三八年末に本社支部執行委員会が職場要求を労使協議会に提出することにした際には、同申請人は業務部職場より換気扇の取付け、宿直廃止、従業員食堂の昼食内容の向上等の要求を集約して執行委員会に報告し、これが昭和三九年二月二九日の労使協議会に付せられた結果、換気扇二ケ所の設置、宿直手当の増額等が実現された。
昭和三九年四月には春闘において本社支部執行委員会が中央闘争委員会に対してその闘争方針が支持できないとの趣旨を文書をもつて表明したが、申請人玉尾はその決議に反対した。
(ト) 昭和三九年六月申請人武田国分工場支部に加入した。
(チ) 昭和四〇年春闘には組合は統一以来と言われる長期争議を行い、三月二七日の闘争宣言から五月九日の闘争終結まで全面スト三回(四八時間一回、二四時間二回)を含む延二〇〇時間を越えるストライキを実施した。しかるに本社支部執行委員会は四月二〇日頃、中央闘争委員会からのスト指令に反してストライキに入らない旨を組合員に指令し、そのため組合としてはそれ以降に実施する予定であつた全面ストライキを工場部門に限る重点ストライキに変更せざるを得なくなつた。ところでこの事実が同支部所属の松谷和佳をはじめ一般組合員に知られるや、同人らはさつそく執行委員に督促して同日午後に緊急支部大会を開催させ、その席上松谷、申請人玉尾をはじめ生産部業務部に属する組合員らにおいてスト指令を返上したかかる執行部の態度の不当性を追求し、その結果あらためて中央闘争委員会の指令に従う旨が決議された。
(リ) 昭和四〇年七月申請人武田は転勤にともなつて本社支部に所属した。
(ヌ) 昭和四〇年九月、申請人玉尾は執行部より次期(同年一〇月より昭和四一年九月まで)副委員長候補として推せんを受けるよう要請されたがこれを断つた。そこでそれに代つて松谷が推せんされ定期大会では最高数の信任票をもつて副委員長に選任され、さらに執行委員会で組織部長にも任ぜられた。この松谷の三役就任はさきの春闘で執行部のスト返上方針を批判した業務部、生産部所属組合員らを中心とする勢力から支持を受けている同人を執行部の中核に入れて、右勢力の意見を直接執行部に反映させ、執行部の方針と大会の決定との齟齬等をなくし執行部との融和を図り組合の運営を円滑化しようとするものであつた。
(ル) 松谷は副委員長に就任後、まず昭和四〇年一〇月二三日の労使協議会で残業手当が正規に支給されていない点を指摘して、会社側にこれをあらためさせるべく約束させ、さらに、その後も支給状況を調べて履行を督促するなどして一応の成果をあげた。
(オ) 昭和四一年春闘においても組合は相当長期にわたつてストライキを含む争議を行つたが、本社支部も中央闘争委員会からの指令どおり闘争した。その間、四月二六日の支部大会では、申請人両名は会社の同月二五日付回答は拒絶して闘争を継続するように発言し、さらに同武田は執行部の姿勢が消極的にすぎると批判した。
(ワ) 同年のメーデーには本社支部から一〇一名が参加した。例年は執行委員が参加するにすぎなかつたが、同年はメーデー当日が日曜日にもあたり、また前日の支部大会において主として松谷が組合員に対してメーデー参加を訴えていた。
(カ) 同年六月一一日本社の事務室に一〇台のテレビカメラが設置された。
この事実を知つた松谷はさつそく執行委員会を開かせてその席上、これは日常的に監視を強めて労働強化をもたらすものであるから反対しようと提案して審議に付し、さらに右提案は職場討議にも付されて(その際には申請人両名も右と同趣旨の発言をした。)その結果にもとずき同月二〇日執行委員会において設置に反対することが決定され、同年七月二二日の労使協議会で松谷が主となつて撤去を要求する旨発言した。
(ヨ) 同年七月二日の支部大会では、河島委員長から夏期一時金闘争につき経過説明と見解表明があつたところ、申請人武田は、右見解が労使協調に偏り過ぎる旨批判し、また同年八月一一日の支部大会では、申請人玉尾は労働協約改定の重要性を組合員に訴える等の発言をした。
(タ) 会社においては、企業利潤を一層向上させるための政策として、社長の年頭方針に基くZD運動(無欠点運動)を展開することとし、同年七月二一日これを発足させた。そして四〇一のZDグループを組織して同年末に第一期および昭和四二年三月に第二期の各目標達成の表彰を実施している。これに対して組合は積極的協力はしないが当分これを見守り、もし組合員に具体的な不利益が生じたり、組織がかく乱された時に反対することにしていた。
しかるところ、同年九月二六日本社支部青婦部定期大会において、松谷はZD運動につき合理化政策であるから反対すべきである旨提案し、申請人両名もこれを支持する旨の発言をし、これが討議された結果「労働強化につながるZD運動には反対し、これを中央青婦部の運動方針に取り上げるよう要求する」旨の決議が為された。
また申請人玉尾は本社支部青婦部の組織を強化して活動を活発にするために、職場毎に選出される幹事を設置しようと提案し審議の結果これは西本青婦部長において早期に実現することに決つた。
(レ) 同年九月、本社支部大会で次期(同年一〇月から昭和四二年九月まで)三役として河島委員長、松谷、鯉谷両副委員長、田中書記長が選任され、また申請人武田が執行委員に選任された。
(ソ) 同年一〇月三日、本社支部執行委員会で河島委員長は組織部長を鯉谷に兼任させる旨提案したが、申請人武田がこれに反対したためあらためて選挙することになり、その結果松谷が前期に引続き再任された。
(ツ) しかるところ昭和四一年一〇月一五日会社は本社業務部業務管理課所属の松谷に対して、中部支社業務課に将来の販売員要員との含みをもつて転勤させる旨内示したところ、当時組合では年末一時金闘争に向けて要求を集約する段階であり翌一六日執行委員会で右問題が検討され、席上、右転勤にはただちに反対すべきではないとする意見も相当出されたが、結局「会社は組合との申し合せにより、組合役員に対する転勤は事前に労使間で協議する定めになつているのに、今回はこれを履行していない」ことを理由に反対することになつたが結局同月二八日会社は松谷に転勤命令を発し、その不履行を理由に同年一二月六日同人を懲戒解雇にした。
しかして、松谷の転勤問題について本社支部執行委員会の内部で示された態度は、まず松谷を除く他の三役は当初から転勤に反対することに消極的であり、また他の執行委員も多くは消極的な方に流れ勝ちであつて、ついにこれを不当労働行為問題として会社側と正面から対決してゆくまでには至らなかつたものであるが、そのなかにあつて申請人武田と川端の両執行委員は委員会や本社労使協議会の席で最後まで松谷の主張を強く支持していた。そして、松谷が解雇後に行つている闘争に対しても、申請人らはそれを支援していた。
(ネ) 同年一一月二八日「支部大会」
年末一時金要求のためのスト権確立に関する議題について、申請人玉尾はスト権確立を訴える発言をした。
(2)(イ) ところで、組合が昭和四〇年夏期および年末一時金闘争、ならびに、昭和四一年度春闘、年末一時金闘争において展開した労働攻勢に対して、会社は右期間を通じて従業員に配布する会社公報によつて宣伝活動を行い、「内外の経済情勢は極めて厳しく、特にベアリング業界の競争は熾烈であり、現在は労使一体の努力により企業を防衛して不況下に生き残ることこそが急務であつて、高額な賃上げやストを実施できる情勢でない」ことを強調し、さらに、昭和四一年七月一一日からは前述したZD運動を展開させるなど、この期間中会社は組合からの労働攻勢には相当苦慮し、企業存立のためには労使協議を必要と考えていた。
(ロ) また、昭和四〇年春闘中本社支部では、執行部が一存でストを解除し、これを組合員が臨時大会を開催させて批判したことがあつたところ(前記(1)・(チ))、数日後大上業務部長は業務部全員に対して、かかる組合員の行動は不当である旨説示し、その際特に松谷を強く非難した。
(3) 以上の認定事実によると、本社支部の組合活動は、支部単位で行うものとしては従来は執行部内の動き以外に見るべきものはなく、その執行部においても労使協調の傾向が強く、ことに全組合規模の闘争に際しては中央の闘争方針に批判的な動きをとり争議が激化するのを足止めする役割さえ果し、また支部全体の気運としても資本との対決を避けたいものがあつた。しかるに、昭和四〇年春闘では執行部が本社支部を全体の闘争体制から脱落させようとしたことに対して、一般組合員から強い批判が加えられると言う情勢の変化が生じ、さらに同年九月の役員選挙ではこの批判勢力から支持を受けている松谷を次期副委員長に推せんして右勢力と執行部との融和を図つたところ、松谷は三役中最高得票数をもつて信任された。以後、同人が原動力となつて活発な組合活動を行い前示の如く昭和四一年春闘における争議行為の実施、同年メーデーの組合員の多数の参加テレビカメラ設置反対、ZD運動反対の運動を起し、従来の本社支部にはみられない活発な組合活動が展開せられると共に、労使対決の機運が助長せられていつたのであるが、申請人玉尾は右松谷の最も身近かな協力者となり、その組合活動に対しては多くの機会を通じて一般組合員の立場から強く支援して来たものであつて、松谷の組合活動が顕著になつてゆくにつれて同申請人の存在も無視できないものになつて来たうえ、特に松谷が転勤を命ぜられたことに対し強くこれに反対し、申請人武田や川端らとともに、終始右松谷の解雇撤回要求を支援し組合の大勢を右支援に向わせるように活動して、会社に反対する行動をとつて来たものであることが明らかでありそして、申請人武田も亦川端とともに執行委員会や労使協議会において終始松谷の主張を強く支持する活動を行い、さらに本社支部が松谷の支援を打切つたあとにおいてもいわば同志的な立場からその支援活動を続けていたものであることが明らかであり、これらの事実に申請人両名の本中尋問の結果により認められる申請人らがそれぞれ上司から組合活動をしたことについて注意せられたことのある事実および前記会社の態度とを合せ考えると、会社は申請人らの右行動に対し心よく思つていなかつたことが推認される。
(4) そして同申請人武田については松谷の支援活動に着手した頃から、それと併行して勤務関係について精神的苦痛を覚えるような情勢の変化が起きているのである。すなわち、(<疎明方法>により疎明される)
(イ) 昭和四一年一一月二日の本社労使協議会には、当初出席する予定になつていた川端執行委員が協議会開催直前に出席できなくなつたため、その場で会社側委員からの了解を得て同申請人が代つて出席することになつた。しかるに、申請人の直属の上司にあたる川邨課長は同申請人が、課長の許可を受けないで労使協議会に出席したことは無断職場離脱に当ると解して、同申請人のタイムカードを自分の手元に留めたうえ、同月三日には同申請人を呼びつけて叱責するとともに前日を半日休暇の届をするように指示し、さらに両者は午前中相当時間にわたつて職務遂行と組合活動との問題について論争したが、物別かれに終り、タイムカードも返却されなかつた。そこで同申請人は人事課長に実状を訴え、同月五日にタイムカードを返却してもらつた。
(ロ) また、その頃同申請人は川邨課長からテレックスを打電することを禁ぜられていたところ(その理由は明らかでない)、同月八日小島係長からアメリカ関係のテレックスにつき回答するよう頼まれたので、その回答内容を小島係長の机上に差し置いたまゝ終業し、執行委員会に出席した。しかるに、翌九日に川邨課長は同申請人に対して、その回答をテレックスで打電しなかつたことを叱責したうえ一切執務することを禁止し、さらに同月一一日には担当職務を短時間で処理される単純作業へと変更するとともに、業務日誌をつけるように命じたのである。かかる状態は本件転勤が為されるまで三ケ月余にもわたつて続けられた。そして、同申請人は右処置の結果著しい精神的苦痛を受けて、大上業務部長や吉住輸出第一課長代理に対しても職務担当を従前に戻してくれるようその助力を要請したのであるが、右処置はついに変更されなかつた。しかも、このように長期間にわたつてかかる処置をとられるべき業務上の理由は詳かでなく、さらに引続いて業務上の理由も薄弱のまゝ輸出関係より疎外されるおそれも充分ある本件転勤命令へと発展している。
(5) そして、本件転勤命令が申請人らの組合活動に及ぼす影響についてみるに、申請人玉尾については、依然として本社支部に所属しているわけであるが、しかしながら、同申請人が組合活動するのに直接の場となる神戸営業所には、組合員が五、六名しか勤務していないうえその大部分は外勤を主たる勤務とする販売員であるので、これに独自の団結活動を期待することは困難であり、しかも本社支部の組合活動の本拠となつている本社職場からも遠く離れているから同職場内の組合員とともに活動することも困難であり、したがつて同申請人の同支部内における活動性、影響力、重要性なども低落せざるを得ない。そして、その低落の程度も重大であつて本社支部の組合活動から排除されたというにも等しく、さらには同申請人が組合活動すること自体さえも容易ならざる情勢にある。そうすると、同申請人は組合活動に関しては不利益な取扱いを受けることになる。
また、申請人武田については、東部支社支部所属となるわけであるが、北関東営業所には組合員は販売員を中心に三、四名が勤務し、しかも同支部活動の本拠である東部支社の職場からも極めて遠方にあるから、これも申請人玉尾につき述べたのと同様の理由で組合活動すること自体さえも困難な情勢にあり、同申請人においても組合活動に関して不利益な取扱いを受けることになる。
(四) 以上認定の諸事情殊に申請人玉尾の転勤については、発令までの経緯に他の従業員とは違つた取扱いが為されておりしかもこれを是認し得る理由が見当らないこと、申請人武田の転勤については、異例であるうえ相当な不利益処遇であるにも拘らず、これを受忍せしめるに足るだけの業務の必要性は認められずしかも発令手続にも公正を欠く点があること、申請人らは本社支部の組合活動から排除されるばかりか、組合活動をするうえで重大な不利益を受けることおよび申請人らは松谷が本社支部執行部の従前の穏健な活動方針に反対して強硬意見を貫く態度をとつたのに同調して活発に活動したのみか、松谷の転勤、解雇についても執行部が十分な反対活動をしないのを不満として終始松谷を支援する活動を行い、これによつて松谷を転勤させる会社の方針および同人を解雇した会社の処置に反対するなど、会社にとつて好ましくない組合活動をしてきたものであり、会社は申請人らのこれらの行動を嫌悪していた事実等を考えると、会社は活発な組合活動をするのみか会社のとつた松谷に対する処置に反対し続ける申請人両名を本社支部の組合活動から排除し、さらに申請人武田については組合活動をしたことに報復して不利益に処遇するべく、本件転勤命令を発したというべきであるから、本件転勤命令はいずれも不当労働行為に該当して無効であり、したがつて、申請人両名は依然として転勤前の原職に所属しているものというべきである。
三、最後に仮処分の必要性について述べる。
申請人両名は、本件転勤命令を受けた結果、本社支部における組合活動から排除されたうえ、現状では組合活動を遂行することさえも支障のある状況にある。そして従前本社支部では松谷の活動を原動力とする一連の組合活動が展開されて来た結果、同支部の組合活動は漸く興隆してがかなりの成果をあげて来たところ、会社はこの一連の組合活動の効果を排除しようとの意図に基いて申請人らに対して本件の転勤命令を発したものであつて、その結果同支部においては、組合活動が衰退して会社は所期の目的を達成するという事態の生ずるおそれも認められ、かかる事態に陥らないようらするためには不当に転出させられた活動家を早急に同支部の活動に復帰せしめる必要がある。もつとも、かかる事情は直接的には組合が活動するうえでの問題になるわけであるが、しかし本来団結活動というのは、労働者が労働条件を維持し向上するために行う原則的方法であるから、その行使が妨害されるということはひいては労働者各自の労働条件の低下につながるというべく、そしてまた組合活動の動態性にかんがみれば、重大な妨害行為は緊急に除去される必要がある。したがつて、申請人両名についてはこの面からすでに原職に復帰させる必要があるが、さらに申請人武田については、不合理な業務内容の遂行を強いられる精神的苦痛のほか、この時期に輸出業務を修得する機会を失つてまた将来輸出業務に就くべき順路からはずされるおそれがあるという業務上の不利益も緊急に除去される必要がある。
以上の次第で申請人両名については仮処分の必要も認められ、本件仮処分申請には理由があるから、保証を立てしめないでこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(大野千里 横畠典夫 木原幹郎)